蜜柑山の急斜面

日記です。

「ストリッパー物語」

先日、池袋の東京芸術劇場で「ストリッパー物語」を見ました。つかこうへい作、三浦大輔演出の舞台です。出演は、リリー・フランキー渡辺真起子、でんでん、ほか。

もう七年、八年前になるかなあ、「ポツドールっていう劇団があるんだよ、すごいんだよ!」と当時の同僚から聞いて、そんときに三浦大輔っていう名前を初めて知った。彼女の口調にこもっていたのは、「やっとわたしたちの演劇がきた!」っていう熱さだったように思います。

わたしが実際に劇場で最初に見たのは二〇〇七年の「激情」の再演だから、「セミドキュメンタリー!」「問題作!」と言われた最初期の作品は見てないんだけど、「激情」は、そのあと三浦大輔が気になって映画やら舞台やら見れるもんは見に行ってしまうぐらいのインパクトではありました。

「やっとわたしたちの演劇が」と思ったものの、でかい劇場ではいまだに蜷川幸雄野田秀樹がかかってて、劇団☆新感線だって結成から三十年以上たってるわけだし、なんかもう、演劇の人ってなんでこんなに元気なのか。

蜷川幸雄だって唐十郎だってすごいなあとは思うし、見ればおもしろいんだけど、やっぱりどうしても、アングラをコクーンで見ることへの違和感はある。気をつけないと、ふと我に返って、ここで懐古的にアングラ演劇を見てることになにほどの意味があるんだろうって思ってしまう(水族館劇場を知ったあとはとくに)。演劇が時代性と切り離せないものであればそう思うのが自然だと思うんだけど、あんまりそういうこと言う人や記事に出合ったことはない。

だから、わたしたちの、っていうかわたしの演劇を見つけたくて、いろいろ見始めた。そのうちのひとつがポツドールっていうか、三浦大輔なのかなと思う。

その三浦大輔がつかこうへい作品をやるというので、たのしみだったのです。

つかこうへいは亡くなって三年たつけど、みんなつか芝居が好きすぎて、こうあるべきみたいなイメージを抱いているから、そこから逸脱するのはちょっと勇気が必要なんじゃないかなって思ってた。けど、そんなの杞憂でした。「ストリッパー物語」は、ちゃんと三浦大輔の世界になってて、それがよかった。ポツドールともまたちがって、どちらかというと「裏切りの街」とかを思い出させたけど、もっと淡々としてた。リリー・フランキーが演じるヒモのシゲの長い語り、声も張らないし、スピードもゆっくり。うっかりすれば間延びした感じになりそうな危うい間が、ああ、三浦大輔の芝居を見てるなーって感じがした。リリー・フランキーさんは、存在感とかで語られることが多いけど、じつはすごいテクニシャンなのではないだろうか。役者としてのリリー・フランキーは映画「ぐるりのこと。」、舞台「クレイジーハニー」が印象深いが、今回の「ストリッパー物語」も含め、みんなちがってみんなよかった。いま「最低のひもをやらせたらリリーさんがいちばん!」って言ってる人も、「クレイジーハニー」を見たら、「おかまをやらせたらリリーさんがいちばん!」って言うと思うし、「ぐるりのこと。」を見たら「夫婦の話にはリリーさん!」って言うと思う。

日本の演劇では比較的作と演出を同じ人が行うことが多いと聞いたことがあるけど、この企画が成立したってことは、つかこうへいの「作品」は「つかこうへい」から開放されて、作品として残っていけるってことなんかな。初期の劇団☆新感線とか、劇団鹿殺しとか、ほかにもたくさんつか作品を上演した劇団はあると思うけど、つかフォロワーじゃない、むしろぜんぜんつかのイメージがなかった演出家が演出すると、もうひとつ世界が広がるというか、時間という批評にさらされるときの強度が上がるんじゃないか。テキストと演出の関係を考えさせられるという意味でも、おもしろい舞台でした。

あと、門脇麦。彼女が踊り始めた瞬間から、釘付けになりました。