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蜜柑山の急斜面

日記です。

映画「セッション」評の件

映画 音楽 言葉

菊地成孔さん→町山智浩さん→菊地成孔さん→菊地成孔さん→町山智浩さんと、追っかけながらすべて読み、なるほどなるほど、わかったわかった、町山さんがふっかけてくれたおかげで理解が深まったなーと思いかけていたけど、あれ、待てよ、最初に菊地さんの「セッション」評を読んだときに自分が受け取ったものはそんなものじゃなかったんじゃないか? と思い始めた。理解が深まったのではなく、分かる程度のレベルに矮小化されてるんじゃないか(それこそネットで無料で簡単にしゃぶれる「現代駄菓子」のように)。というわけで振り出しに戻る。この件はこれだけをちゃんと読めばいい。

「セッション!(正規完成稿)~<パンチドランク・ラヴ(レス)>に打ちのめされる、「危険ドラッグ」を貪る人々~」 - naruyoshi kikuchi INTERNET TROISIEME

779行目から引用します。

 そして、世界中でこの程度の映画がこれほど評価されるのは、こうした予期不安とフラッシュバックが蔓延している世界の欲望に、見事に応えたからです。平和ボケと戦争不安の日本も、戦争依存症で後遺症まみれのアメリカも、求めている物は鏡面的に同じなのです。

 もはや、完成された知的でエレガンスなSMプレイや、上質のプロレス、20世紀的なトラウマ映画の強度よりも、素人が制作した、脱法ハーブ改め危険ドラッグのような、粗悪なペニシリンが早急に必要な世界が、ソマリアやガザの外側に広がっているのです。

 「セッション!」という邦題をつけた方の意図は知る由もありませんが、ここで扱われる音楽は即興のセッションではなく、リハーサルが必要な編曲物です。ここでの「セッション」は、主人公2人のタイマンによる、精神分析的な、罵倒療法的な意味でのセッションであるという解釈が可能であり、もしそうだった場合、「トラウマチック」と並び、またしてもフロイドは安値に堕したとしか言いようがありません。

 そうした粗悪なペニシリンの原材料として「大学で白人が教えるビッグバンドジャズ」は、身を切るような思いで申し上げますが、残念ながらぴったりなのです。

 もし「鬼コーチのハラスメント」がヘヴィメタ学校(存在します)だったら、上質のコメディになったでしょう。DJ学校(存在します)だったら、素晴らしい暴動の物語になったでしょう。本当に、タチの悪い現代性=新しさを持った映画です。

 ちなみに、わたしは菊地さんの著書は自腹で買って読んでますから。無料の世界の住人(笑)ではないのです。でも肝心のCDを買ったことなかったからこれからはCDも買います!(笑)