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蜜柑山の急斜面

日記です。

変身

昨日、再建された(というか名義だけ継承して新生した)早稲田小劇場(のあとに「どらま館」というあんまりかっこよくない字面が続くのですが)で、「アンドロイド版『変身』」(原作:フランツ・カフカ、作・演出:平田オリザ)を見た。フランス語の上演。あとから知ったんですが、ザムザ一家のお母さんを演じていたのはイレーヌ・ジャコブさんだった。学生時代、「トリコロール 赤の愛」とか見ましたよう!

原作では虫になってしまうグレゴワール(グレゴールですね)は、ある朝目覚めると、自分がロボットになってしまっていることに気づく。というのはタイトルからすぐにわかると思いますが、アンドロイド開発はもちろん大阪大学石黒浩研究室です。テレビ番組「マツコとマツコ」でマツコ・デラックスのアンドロイドを作ったあの人です。マツコのアレは正確には「ジェミノイド(遠隔操作型アンドロイド)」ですが。

石黒先生は、「似すぎてて気持ち悪い」ギリギリまで本人に忠実なアンドロイドを作る人というイメージですが、『変身』はまさにある朝突然「変身」していなければいけないわけなので、「アンドロイド(人間酷似型ロボット)」ではなく、パッと見てロボットとわかるロボットになってました。本人に酷似していたら変身したことに気づいてもらえないかもしれないから、それじゃあお話的に具合が悪いですよね。それはそれでシュールかもしれませんが。ってか、いまちょっと想像してみたらそっちも面白いかも。一見本人なんだけど触ったらひんやり、みたいな。「本体どこいった?!」みたいな。それはおいといて、今回の舞台で使われていたロボットの特徴は、仮面のような顔かなと思いました。首から下は黒光りしてメカメカしいんだけど、顔だけ白い仮面なんです。ちょうど、いまやってるテレビドラマ「アイムホーム」で、主人公から見た妻の顔みたいな感じ。絶妙な違和感。眉のあたりが動くので、ちょっとした表情はわかる。

「どうやらこれがぼくみたいなんだよ」。

この台詞を、巨大毒虫が言うのと、造形的に美しいアンドロイドが言うのとでは、おのずから印象が全然違うわけで、「アンドロイド版」は原作の『変身』とは全然違う手触りの作品でした。家族愛。犠牲的精神。戦争の影。詩。月天子。いろんな意味で美しい。人間ってこんなに美しいものだっけ。そうだったらいいのにね。

劇場を出て見上げると夜空に月……だったら出来過ぎですが、昼公演だったのでどんよりした空があるだけで、リーガロイヤルホテルの前のバス停から都バスに乗って帰りました。散文的に。

 

追記

アンドロイド版を見てあらためて、原作ってブラッグなギャグなんだよなーって思いましたわ。たしかグレゴールって毒虫として死んで、掃除のおばちゃんに片づけられちゃうんだよね。カフカは笑っちゃいながら朗読してたっていうし(Wikipedia情報)。悲喜劇。

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