蜜柑山の急斜面

日記です。

新語

こないだ大型連休に実家に帰ったら、たまたま話の流れで、母が、「お母さん、最近テレビで『毒母』って言葉を知った…」と、複雑な表情で言ったので、「お母さんは毒母じゃないよ!」と全力で否定したくなりました。

いわゆる“毒親”“毒母”に苦しめられた人にとっては、その呪いを払拭するために自分が受けた仕打ちが言語化されることが必要で、そういう意味でこの10年(信田さよ子さんの『母が重くてたまらない』2008年ぐらいから)の、母(および父も含めた親)を相対化する言説(という言い方であってるのかよくわかんないけど)は意味があったのだと思うし、それがあったおかげでわたし個人的にも大変に勉強になったというか、自分を理解し折り合いをつけることができた(理解は生きやすさにつながることが多い)のですが、そうだとわかっていても、いざ、自分の親がそのことによって罪悪感を感じてしまったり、傷ついたりする様を見るのはしのびないのよな。もう年やし。そんなことうちのお母さんの耳には入れたくないし、そんな必要ないやろ!と思ってしまう。ひいてはそういう言葉を“発明”した人をちょっとうらめしく思ったりして。。やっぱりわたしってすごい自分勝手な人間なのよな。。

なんかまとまってないけど、メモとして置いておく。