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蜜柑山の急斜面

日記です。

ドキュメンタリーとは

テレビ

山口晃画伯の情熱大陸を遅れて見ているのですが、いわく言い難い腹立たしさを感じています。もちろん、画伯が承知しているからこそカメラが入っているのでしょう。映像ドキュメンタリー的には、いい絵が撮れた、いいドラマが作れたぐらいのことを思っているのかもしれません。あるいは(邪推すれば)、作品の完成で大団円というストーリーを描いていたのにあてがはずれたじゃんよ、放送日が遅れたじゃんよ、ぐらいのことを思っているのかもしれません(ドキュメンタリーの仕事に片足を突っ込んでいる身として現場の人間はそんなことは思わないと信じていますが)。でも、画伯はおそらくスタッフを信じてカメラを許しているわけで、その気持ちに応えるようなすぐれたドキュメンタリー作品を作っているとは思えませんでした。単に撮ったものをつないで流しただけ。絵を描くとは何か、表現するとは何か、なぜそこまで苦しんでも描こうとするのかということに、取材する側が向き合った形跡が感じられませんでした。たとえ限りなく気配を消したとしても、取材のカメラってそこにあるだけで暴力なんだよ。なのに今回の映像およびナレーションの作りで感じたのはむしろ“上から目線”と“卑下”の最悪の合わせ技。一絵画ファンとしては30分間ひたすら「画伯の創作の邪魔をしないで!!!」という思いが去りませんでした。。それって、番組にとってもマイナスイメージになっちゃうから、損だと思うんだけど。ナレーションにあったような「ひらめきが降りてくる瞬間」をカメラにおさめたいという欲望は大変によくわかりますが、その瞬間に他人は絶対に立ち会えないという、その不可能性を認識するところからしかドキュメンタリーは作れないと思うんだ(内面ではなく、「事が起こる」瞬間にであれば偶然居合わせることはできるかもしれない。そして足と頭を使っていれば偶然の確率は高められる)。

追記

いろいろネットを見てたら、「だったらなんで取材なんて受けたんだ」というコメントが。そりゃそうだな。たしかに。企画が成立するまでにどういうやりとりがあったのかわかりませんが、取材者ってあの手この手で口説こうとするんですよね。わたしもいわゆる口説く側ですが、気がとがめると「でも断る権利はそちらにありますから」とか言っちゃいます、たまに。あまちゃんです(笑)。

追記2

あ、そういえば画伯は悪名高い(笑)「画力対決」にも出ておられたな。頼まれたら断れない性格なのかもしれない。あるいは、意外に腰が軽いか。