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蜜柑山の急斜面

日記です。

転校生

「転校生」(作:平田オリザ、演出:本広克行)の公開ゲネプロを見る機会に恵まれました。いろいろ感じたことはありますが、私が見たのはあくまでゲネプロなので、本番をちゃんと見たら考えをまとめるとして、思い出したのは、舞台作品を見る時の視点の置き方についてのもみじさんたちとの会話です。

「“この人”と決めてその人を中心にしてみる」派のもみじさん&ルーシーに対して、「あくまで全体性で見る」派ののだっち&わたし。せっかく舞台を見てるのに(観客という、全体を見られる特権的な立場なのに)、だれかに視点を仮託して、心情とかキャラクターに寄り添ってしまうのはもったいないじゃん!と、わたしはわりと強く思っている。だから、「登場人物のだれにも感情移入できなかった」というのは、わたしには特に批判には聞こえなくて、「それと、作品が面白いか面白くないかは別でしょ」という感じ。

で、いまや平田オリザさんの代名詞ともなっている「同時多発会話」は、わたしの浅い理解では、「全体性で見る派」のほうが楽しめると思っていたのですが(だってほら、あっちとこっちで別々の会話が進行してる状況を面白がれないといけないわけじゃん)、今回の「転校生」を見て、あり?と思ったのでした。

「転校生」は、学校の教室を舞台にした、21人の女子高生が出てくる作品です。転校生役の子を除いては同じ制服を着た女子高生が一つの教室の中をあっち行ったりこっち来たりしてるだけ。なのだけどと言うべきか、だからこそと言うべきかわかりませんが、やっぱり、つい目が追いかけてしまう子っているんですね。役柄に重い/軽いがほとんどないので、たぶん「あ、この子好きだわー」っていう自分の好みが単純に出てちゃってるんだと思うのですけれど。スタイルがいいとか、声が好みとか。逆に、そういうとこにフォーカスせずに、全体を引いてみようとしてると……眠くなるんですよ! だって女子高生があっち行ったりこっち来たりしてるだけなんだから。(戯曲がどんなふうに世界のあり方を描いているかという評価軸もありますが、「妙に意識高い女子高生だな」というふうに見えなくもなかったわけでそれはまた別の問題。)

だからわたしとしては、「あれ、つまんないなあ。鳴り物入りのプロジェクトっぽいのにこんなものなのかなあ」と最初は思ってしまった。ですが、そうじゃなくて、積極的に自分から「推し」を作っていかなくてはいけないのかもしれない、とあとから考えたのでした。そう思うと、「全体性で見る」というのも一つの信仰にすぎないのかもね(かもねじゃなくて、そうなんだろうけど)。でもこれからも基本的にそっち派であることは変わらないと思いますが。(←頑固ものw)

ここまで書いてきて、自分がエンタメより芸術の方にむくむくと好奇心がわいてきてしまうのはそのことと関係しているかなあ、と思ったりもし始めましたが、じゃあ「転校生」は超エンタメ作品なのか!? 平田オリザさんが自ら演出した初演や、SPACでやった飴屋さんバージョンはどんな感じだったんだろう? と考えが広がってしまいます。それはまたあらためて考えてみることにします。