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蜜柑山の急斜面

日記です。

言葉

テレビ 演劇

「ニッポン戦後サブカルチャー講座III」の第2回を見た。

風間くんが「(笑)→w→草」の例をあげて「言葉は言うものではなく、見るものになったんだな」と指摘したことに激しく首肯。
風間くんが言ったことと少しずれるかもしれないけど、私は、LINEやfacebookのようなチャットツールで、言葉を打ち込んでいる自分を俯瞰して自嘲(わら)ってしまうことがよくある。たとえば「えええーーーっ!」という驚きを表す言葉を入力するとして、「えええ」の部分が「エエエ」となってしまったり、「っ」がうまく出ないことは、手書きならぬ打ち込みであればよくあることだ。そのたびにいちいち消して打ち直したり、よその文章に探してコピペしたりするわけだけど、その作業をしている自分が可笑しくて仕方がないのです。ちまちまとキーボードを叩いているけど、画面に表れるのはあくまでも「えええーーーっ!」という驚きの感情だけ。その可笑しみは、通常の原稿(感情のやりとりではない、書き言葉で書かれたもの)では生じない。
で、そう考えると、LINE(チャット)が苦手な人がいることや、超短文でしかメールを返さない人、スタンプだけで会話する人なんかがいることも、なんとなく理解できるような気がしてくるのが面白い。
「視覚で聞く」「視覚で話す」という感覚は、やっぱりインターネット以後の感覚だよなー。

番組の後半でやっていた短い“お芝居”もとっても面白かった。

A え?
B いや、
C なにが、

というような短い、何の意味もないようなあいづちレベルの言葉の羅列だけでも、俳優が立つ位置、タイミング、抑揚を細かくチューニングすることによって、ドラマが「見る側に」生まれる。平田オリザさんが青年団でやってきた「現代口語演劇」(の一部)を、アイドル3人がやってみることによって端的に伝えていた。演劇といえば大げさな感情表現だと思っている人にとって、「内面を作らない」アプローチがあるんだよということは新鮮だったのではなかろうか(もちろん、風間俊介さんも大原櫻子さんも俳優として評価の高い人で、彼らの技術と勘の良さがあったればこそ、あの短い時間でそれを実演することができたわけだが)。ああいうことがテレビのようなメディアでもっとたくさんできるようになったら演劇の「見手」が育っていくと思うんだよなー。