蜜柑山の急斜面

日記です。

選挙の話の続き

二つ前のエントリで選挙のことをぶつくさ言ったけど、選挙と言っても別に政治の話をしたいわけではなく。

若者の投票率が低い、若者は選挙に行かないとよく言われて、その理由として当の若いやつらは「どこにいれたらいいかわからない」とか「それで世の中が変わると思えない」とかいろいろと理屈をつけるけど(その答え自体も捏造されてる気もするけど)、選挙に行かない本当の理由は、若い人特有の潔癖さゆえじゃないかと思っている。誰かに投票したら汚れる気がするっていうかさ。自分が投票するからには絶対に間違いない人に入れたいとかさ。あとで間違えたとわかったら傷つくしさ。

そう思うのは、今振り返ってみれば、他ならぬ自分自身が20代のころはそういう気持ちだったなあと思うからだ。

しかしまあ、社会人を20年もやっていると汚れないわけにはいかない。それなりに挫折もするし、こんなはずじゃなかったと思うし、自分だけが取り残されているような焦燥感も味わう。自分をごまかしたこともあるし、あまり大きな声では言えない仕事をしてしまったこともある(もちろん違法行為とかではない)。同時に、自分のずっと先、ずっと上を行っていたように見えていた人が、意外に自分と同じ平面を歩いているんだってことがわかってきたりもする。ここまでくると「選挙ぐらいなんてことないか」と思えてくる。自分の1票では世の中は変わらないかもしれないけど、「入れても入れなくても同じなら入れとくか」みたいな感じになってくる。どうせ選挙はまたやってくるのだし。

わたしはそうやって20年かけて自分が生きている社会の制度と折り合いをつけてきた。だから、若い人に気軽に「投票に行け」とは言えない。だって自分が今18歳だったら、自分で納得できてから行動したいから。18歳でも80歳でも、社会の仕組みがわかっている人や自分なりに折り合いのつく人は普通に選挙に参加すればいいと思う。でも、なんだか納得できないという人に無理強いはしたくない。

なにが言いたいのかというと、つまりわたしは若さゆえの潔癖さを愛しいと思っているということです。ね、政治の話じゃないでしょ?

いやいや若い子はそんな美しげな理由で選挙に行かないわけじゃないよという人もいるかもしれないし、単に無知なだけの子もたくさんいるかもしれないけど、そもそも知るということは無垢ではなくなるということだ(そして無垢でありたいと願うことは若さの特徴のひとつだとわたしは思う)。知っていることは悪なのだ。そして世界のすべてを知ることができない以上、人間は完全な悪にもなれない。常に中途半端であって、その中途半端さを受け入れられるようになるということが大人になるということだとわたしは思っている。