蜜柑山の急斜面

日記です。

あいトリをめぐって考えたこと

追記

8/13, 14であいちトリエンナーレを観てきました。愛知県芸術文化センター名古屋市美術館円頓寺・四間道エリア、豊田市美術館といちおう全部の会場を回りました。2人の知人と一緒に回ったので、あれこれ感想を言い合ったり話し合ったりしながらできたのがよかったです。で、その上であらためて今回のごたごたについて思うところがあり、で、その「思うところ」がどこから来ているかを説明する文章にこのエントリはなっているかなーと思ったので、とりあえず公開しようと思いました!(あいちトリエンナーレ2019および例の展示をめぐるごたごたについての「思うところ」は今度会ったときに直接話します。そんな話になれば!)

 

よせ鍋さんのコラムを読んだのですがコメント欄がないのでこっちでエアリプというか、自分の考えを整理したいのでちょっと書きますです。

芸術の定義はないかもしれないけど、現代アートの定義はあると思う。それを基礎付けるのは「美術史」という学問分野。自然科学と比べればうろんなものかもしれないし、サイエンス以上に依然として西洋中心主義だが、少なくとも明治以降の時間的な積み重ねは(他の社会科学や人文科学の諸分野と同じように)あるのでそれは認めてほしい。っていうか、それが知られてないから「俺の考える最強の芸術」合戦になる。(よせ鍋さんに文句を言っているわけではありません。っていうかアート側がそれを前提として振る舞ってないほうが問題と思ってる。心ある人はもちろんそうしてるんだけど、そういう人はメディア有名人じゃなかったりするからなあ…)

もちろん、現代アートやアカデミックな美術とは違う表現はあってもいいというか領域としてはそっちのほうが全然広大だ。それに、映画にだって漫画にだって「芸術性」は宿る。

一方、現代アートの作家は人間や社会や自然を扱うが、その先にあるのはあくまでも美術であって、娯楽や癒やしじゃないし、社会変革や弱者救済でもない(結果としてそれらを提供することはあるにせよ)。その意味で「アートとジャーナリズムは近い」と言っちゃう今回の芸術監督は根本的に分かってない。同じもの扱ってるけどベクトルが違うっていうか。一見近く見えるからこそ最新の注意を払わないといけないのに、落とし穴にはまった印象。

現代アートは、投機的に扱われるなど市場性のめちゃめちゃ高い側面があるが、その市場は大衆に支えられてはいない(だからこそ嫌い、スノッブだという反発があることも知ってる)。

一方で、税金入れないと簡単に市場から追い出される作品群がある。現在の価値でははかれないものや、誰かを癒やしたりも誰かの役に立ったりもしないもの。だけど、爆笑問題太田光の「ピカソ」じゃないけど、ものすごく追い詰められた人をものすごく劇的に癒やす可能性もあるんだ。よせ鍋さんのエントリを読んで「ああ、そっか」と思ったのはそこで、「俺の考える芸術」ではなく、「美術史」という人類が積み重ねてきた営みに連なることに価値があるんだとしたら、市場にまかせたら衰退していくだろうから擁護すべきというロジックも成り立つと思う。アートに税金を出さないとしたら、たとえば山口県YCAMなどの先端的なアートセンターは誕生していない。

現代アートは、エンタメとは一線を画する。それは、いまのところの私の理解では、人間の知覚や認識の未開の部分を刺激したり、拡張したりする働きがあるから。もちろん全ての作品がそれを目指しているわけではないし、それに成功しているわけではない(むしろクソだなと思うものもが大半だけど)、たまに出合うから面白い。もちろんアートとエンタメにぴしっと線を引けるわけではないっす。繰り返すけど、芸術性の高い商業作品はあるし、大衆受けのよい現代アート作品もある。ただ、言えるのは、どの作品が歴史に残るかはいまは言えないということだ。ゴッホの例を出すまでもなく、現代だって「もの派」が再評価されたりすることもあるわけだし。

日本は明治以降、西洋美術史の輸入から始まったアートを根付かせるのに失敗し続けているわけだから、今後成功するかどうかについては悲観的であることも認める。あいトリ規模の国際展でこのざまだし(あえて「ざま」と言うが作家選定やプログラミングはチャレンジングだと思う)、行政のほうもアートを地域振興に利用してるわけだから、「俺にとってアートは価値がない」という人を説得できないのはまあ仕方がないのかもしれないなとは思う。そしてそこで諦めそうになる自分はヘタレだとも思う。が、やれることはやる。ささやかだけど機会が得られそうだし。

あと、念のために書いておくと、個別の作品の評価はだからこそきちんとするべき。でも絶対に異論も出る(東京現代美術館がオープンするときにリキテンシュタインを買ったんだけど、漫画みたいな絵に何億も使うのはおかしいってすごい文句が出た)。「ほら、どの作品や作家が将来的に価値を生むのかなんて分からないんだから、公共で支える必要なんてないじゃん(やりたきゃ自分で市場から金とってこい)」という意見が出るのもまあ予想できるだけど、それはどこかで見たロジックと似てやしないか。まともな作家は多少なりとも世界と未来を見て作品つくってるっていう矜恃があるはずだ。

なんか書き殴ったのですが結論というわけではなく。ここ1週間もやもやしていたことを言葉にするきっかけをくれてありがとうという気持ち。自分の考えが正しいとも唯一絶対だとも思わない。

 

追記

あと、あれだ、「パブリックアート」という点で言えばすでに100年近い積み重ねがあるが、公共事業とアートの関係は互いに利用し合ったり反発し合ったりして続いている。「アートに税金」の側面が強調されるが、公共の側だってアートを利用している部分がある。あいトリは派手に燃えたから注目されたけど、問題自体は別に目新しくはない。だいたい、パブリックアートが撤去されたり中止になったりする原因って、議会の議員さんからクレームが入ったとか、そういうことが多いからな。だから納税者が多数決で「アートなんていらん」と決めればパブリックなアートは消え失せるのだろう。ちなみに、茨城県で開催された県北芸術祭は中止が決まった。報道によれば、産業振興とパンダ誘致に切り替えるそうだ。